小林人


エース級種雄牛『安重守』を送り出した

 宮崎牛は、県全体で何十年もかけて品種改良に取り組んだ成果であり、今や全国でも屈指のブランドだ。それを支えているのが、良質な肉質がその子牛にも発現する強い遺伝力を持った優秀な雄牛たちだ。
エース級種雄牛―。
宮崎牛の「主力」「エース級」と称される福之国、勝平正、美穂国、秀菊安、安重守の5頭である(5月22日に口蹄疫の感染疑いが確認され、殺処分された忠富士を含めると6頭)。
宮崎牛の種雄牛から搾られる精液は年間15万本。エース級種雄牛6頭の精液が7割を占めた。
中でも一番若く、期待を集めるのが、安重守。優秀な子牛を数多く送り出したスーパー種雄牛「安平」を父に持ち、肉質の良さは父親ゆずりと評価は高い。その安重守を育て、世に送り出したのが、細野に住む仮屋重典さんだ。

仮屋さんは、昭和3年に農畜産業で生計を立てる両親のもとに生まれた。24歳で繁殖牛に着手。歳で房子さんと結婚した。
安重守を語る上で、外せないのは、母牛である「たかこ」。仮屋さんが憧れていた「福茂」の血統をもつ雌牛だ。子牛のたかこを初めて見たときは「あまりに小さい」と心配したという。
しかし、それは杞憂に終る。たかこは、とても立派な乳房を持つ母牛に成長した。たかこが産む子牛はセリに出すたびに高い評価を得た。通常の2倍の価格が付くこともあったという。
そして運命の平成17年2月21日。一頭の子牛が産声をあげた。仮屋さん夫婦は「あの子は生まれた時から違った」と語る。
「安重守」と名づけた。「安」は父の「安平」から、「重」は重典さんから取った。「守」は、地元夷守の「守」と、父である安平が、この子や自分を「守」ってくれるようにと、願いを込めて名づけた。「あの子は、甘えん坊でおりこうさん」と語るのは妻の房子さん。落ち着きのある子牛だった。

安重守は順調に育ち、種雄牛として見込まれた。生後7ヶ月半で高原町の検定所へ。さらに選抜され、宮崎県家畜改良事業団へと移り、宮崎牛の主力種雄牛となった。
約4年半振りとなる安重守との再会は、平成22年3月。仮屋さんは知人に誘われて、家畜改良事業団を訪れた。
そこには名だたる名牛がいた。中でもやはり安平。決して大きくはないが、見惚れてしまう存在感だ。
安平の前で動かない仮屋さんは知人に呼ばれ、2つ先にある部屋の前に立った。  「安重守」声をかけ、頭をなでると、気づいたように甘える素振りを見せた。仮屋さんは、懐かしい思いに駆られたが、後ろ髪を引かれつつも家路についた。

そして、口蹄疫が発生。「あれが最後の面会になってしまうのか」仮屋さんは天を仰いだ。
「いつ殺されるか分からない我が子を、黙って見守ることしかできない。誰も責めることはできない」と、諦めの中で日々を送った。戦争で亡くした息子(仮屋さんの兄)を想い、泣いていた母の姿が、今の自分と重なる。ただただ「無事でいてくれ」と手を合わせる日々が続いた。やがて、口蹄疫は終息。安重守は無事だった。

現在、仮屋さん夫婦は牛飼いをやめ、農業を営む。牛のいない牛舎に思わず目を向けることもあるが、未練はないという。  仮屋さんは、仏壇に手を合わせる際、安重守の写真に「体に気をつけて、頑張ってください」と毎朝エールを送る。宮崎牛を守るため、希望を託された我が子へ。 その表情は、頑張る子を見守る父親のようだった。
(「広報こばやし」平成23年1月号掲載)