こばやしのヒト

小林市街地から車を走らせ山を登っていくと、辿り着いたのは須木地域。須木とは、2006年に小林市と合併した旧須木村のこと。そこに「すき酒造」はあります。

「すき酒造の焼酎は、これからもっともっと美味しくなる」。

この言葉は感情論ではなく、そうなったらいいなという願望でもありません。すき酒造の杜氏・内嶋光雄さんの、自身の経験と実績に基づいた確信です。

杜氏(とうじ)とは、日本酒や焼酎をつくる蔵における最高責任者のこと。特別な資格を必要とせず、経験年数による制限もないため、若くても杜氏になることはできます。

しかし、焼酎の味の違いはやはり、杜氏の経験の差によるところが大きいそうです。

一子相伝が当たり前の黒瀬杜氏の世界で、内嶋さんは特別な経緯で複数の黒瀬杜氏から酒づくりを学びます。そのため、甘く、やさしく、芋の味がしっかりする焼酎をつくれるのだそうです。

その味は雑誌『dancyu』の焼酎特集で取り上げられ、「山美娘(やまびこ)」が「軽快なタイプ」で2位、「超豪傑芋焼酎 山猪」は「重厚なタイプ」で3位に。京都の高級料亭にも置かれており、小林市ふるさと納税の返礼品としても人気です。

戸を開けると、販売スペースがあって、数々の焼酎を試飲できる

今やっていることと、どういうキャリアを経て今に至るのかをまず聞かせてもらってもよいでしょうか。

内嶋光雄(以下、内嶋) 昭和54年から焼酎づくりに携わっています。私の場合は焼酎づくりを学んできた経緯がちょっと特殊で。通常、杜氏の技術は、一子相伝が多いんです。一つの蔵のつくり方を体得して守り、ずっと同じつくり方を続けていくのがよくあること。つまり、ひとりの方だけに教えてもらうことが多いんです。

私は鹿児島県の伝統的な焼酎づくりの黒瀬杜氏(くろせとうじ)という方々のうち、4人に焼酎づくりを伝えてもらいました。同じ蔵で4人の方に伝えてもらったからこそ、タイプの違う焼酎がつくれるわけです。それを自分が修得できたことによって、その技を今のすき酒造で発揮しているんだと思います。

えっ、なぜ内嶋さんは4人の方に焼酎づくりを伝えてもらうことができたのですか?

内嶋 杜氏さんたちが高齢で廃業されたりして、次の杜氏さんが来る……というふうに4人の方の蔵子として仕えました。偶然ですが、個々の杜氏さんの焼酎づくりを体験したおかげで、私にしかつくれない味を出せるようになりました。



内嶋 光雄さん

宮崎県小林市出身。19歳で当時宮崎県小林市にあった鹿児島の「本坊酒造」の小林工場に入社。「黒瀬杜氏」の4人に師事し、焼酎づくりを学ぶ。33歳で小林工場の杜氏となり、1997年に屋久島工場へ赴任。手づくりの麹づくり、甕仕込みなど伝統的な黒瀬杜氏の技を継承すると、本坊酒造の杜氏たちに技を伝授する大杜氏に抜擢される。屋久島に9年間在籍したのち本坊酒造を退社。地元小林に戻り「すき酒造」の杜氏となり、現在に至る。すき酒造の焼酎は、全国の方々から小林市ふるさと納税の返礼品としても人気。詳しくはこちら