こばやしのヒト

大阪の焼酎居酒屋で出会ったふたりは、結婚。そして出産を機に奥様の実家がある宮崎県小林へ。

福田俊幸さんは魚屋4代目として家業を継ぎ、福田麻美子さんは魚屋の隣にイタリア料理店「Cucina mamma del pesce(クッチーナ・マンマ・デル・ペッシェ)」をオープン。子育てのために移住し、お店をつくったおふたりに、次第に活気が溢れてきた町の暮らしを聞きました。

お店では、どんな役割分担をしていますか?

麻美子 私が料理をして、夫が接客をしてくれています。ちょっと手が足りない時は、お母さんがたまに手伝ってくれる。基本的にはふたりでやっています。

俊幸 そう、基本的にはふたり。だけど心の中では、4人でやっている感覚ですね。

4人というのは?

俊幸 オープンするまでの簡単な経緯は先程お話したとおりですが、お店を始めることができたのは魚屋があるおかげ。これまで魚屋を支えてきた義両親も含めて、4人でつくっているお店がクッチーナなんです。

麻美子 うん。実際4人で魚屋とクッチーナを行ったり来たりしないとできないしね。

俊幸 この行ったり来たりすることがとても大切で、これから先も続けていきたいスタイルなんです。

というのも、僕の中でこのスタイルは、過去、現在、未来を行き来している感覚なんです。魚屋は80年続いてきた歴史があります。まな板の上で魚を扱う姿も、来店されるお客様の顔も、店先で挨拶するご近所の方々も、すべて魚屋の歴史の中に刻まれた風景でもあり、現在まで続いている姿でもあるんです。

魚屋で培われたお客様との関係性や、魚の知識、お店の営業についてなど、本当にたくさんのことを学ばせてもらったし、今も学んでいる最中。魚屋があったからこそ始められたクッチーナは、そういう歴史から学んだことを活かしてつくっていく未来なんです。未来づくりって楽しくてやりがいがあって、俄然やる気がでるんですよ。もう楽しくてしょうがない。

僕は町づくりや町おこしみたいなものも、僕らの店づくりと同じじゃないかと考えています。新しい町のあり方をつくるには、その町の歴史を大切にしないといけない。

麻美子 だからこそ、まずは自分たちの店から、未来をつくる小さな一歩を踏み出していきたいね。

俊幸 そうだね。子どもたちは僕らの背中や店の雰囲気を身近に感じることで、ルーツや物事の歴史を大切にしながら、自分の道をつくっていける子に育つと思う。いつかは小林を盛り上げてくれるんじゃないかな。

麻美子 将来どんなふうに暮らしていくのかは子どもたちの意思にまかせたいけれど。小林のために動けるような子になったら嬉しいね。



福田 麻美子さん

調理師学校を卒業後、ホテルやイタリアンバルに勤める。出産を機に⼩林へ U ターン した。隣接する川崎鮮魚店の三⼥で、三⼈の男の⼦の元気なマンマ。

福田俊幸(ふくだ としゆき)

1977年生まれ。大阪で広告関係の仕事を10年程経験し、魚屋に転職。80年続く川崎鮮⿂店の 4 代⽬。鮮⿂店で働きつつ、 「Cucina mamma del pesce」のスタッフとしても勤務する、家族を⽀支える大黒柱。